[本] 人間だもの・・・:行動経済学
2008年 02月 16日
行動経済学 経済は「感情」で動いている /友野典男
うむむ、この本は非常に興味深い内容だが、とても難しい面もある。というか多分僕の理解が悪いだけかもしれないけど、これについて書くには失礼な理解度かもしれない。
この本、経済の動かすものとしての人間の行動が、経済的な行動をしていることを前提にしていても、実際の人間の行動は非合理的で予想がつかないものであることを様々な説を事例を使って説明しているもので、読んでいて納得というものから、数値や式、グラフがいきなり出てきて説を論理的に示しているところもあり、なかなかついていけないところもあった。ええ、多分私がザッと見しているから悪いんですけどね・・・。
ヒューリスティックとバイアスってところは、自分の行動もそうだし、他人の行動をみていても、ああ、あるなあそういうの、って納得できることが書かれている。パッと見だと「そんなの当たり前でしょ」って思ってしまうのだが、ちゃんと事例を示し、論理的に説明されるとそんな当たり前のことを何も考えずにやってしまっているんだなと感心してしまう。改めて、その当たり前のことを示してもらうと、それを自分にどう活かすのかが見えてくる。そのパターンにはまらないように自分の思考を動かすのか、それとも逆にそのパターンにはまってみる、とか。その人間の行動というものを知ることでマーケティングなんかにも活かせるというところは、やはりこうやって気づかないとなかなかできないものである。
平均への回帰、なんてのはよくみんながすることで、例えばイチローのバッティングはすごくって毎年すばらしい記録を残しているのに、ある一時点の調子の悪いのを見てしまうと「もう駄目だ」とか「もう時代は変わった」とか、安易に言ってしまうこととか。今までの活動期間を平均すると、圧倒的にすごいのに。こういうのは自分も含めてありがちな非合理的な行動である。
フレーミング効果も普段のいろんなところに仕掛けられており、人間の非合理的な行動につけ込んだものは多い。フレーミング効果のフレーミングとは、問題の表現方法であり、同じものを表すにしてもその表現方法により結果が異なることを言う。
例を示せば、以下の質問を複数の人間に質問し、その二択の答えを集計する。
「世界が滅亡寸前であり、600人が生き残っている。その600人の命も危ない。助かるための方法としては後に示すA.B.の2つの方法があり、どちらかを選ばなければならない。政府はどちらを選ぶべきか?」
A. 200人が助かる。
B. 確率1/3は600人が助かり、確率2/3は全員助からない。
この場合、Aの方を多くの人間が選ぶのだそうだ。しかし以下のように問う場合、
A. 400人は助からない。
B. 確率1/3は誰も死なず、確率2/3は600人死ぬ。
この場合、Bの方が多く選ばれるそうである。しかしこれはA.B.は言い方を変えただけで同じ結果となるのである。言い方でこうも変わるとは。マーケティングでも、政治でも、マスコミでも、そういうものは折り込み済みなのである。なんか悔しく感じるなぁと。
この非合理性を考慮した上で、行動すれば経済的に行動ができるわけだが、すべてが合理的で良いのだろうか?非合理性にも人間らしい良い面も多くあるとは思う。
客観的に人間の行動というものは何かを知り、状況によってうまく使って生きていくことが大事かなと思う。非合理の中にある場面場面で活かせるアドバンテージについて、その使い方の合理性を見いだせば、完璧な合理性よりも面白く生きて、かつ成功できるのではないかと思う。
参考:囚人のジレンマ
この本でも取り上げられている最適な選択が最適ではない非合理性の例。
うむむ、この本は非常に興味深い内容だが、とても難しい面もある。というか多分僕の理解が悪いだけかもしれないけど、これについて書くには失礼な理解度かもしれない。
この本、経済の動かすものとしての人間の行動が、経済的な行動をしていることを前提にしていても、実際の人間の行動は非合理的で予想がつかないものであることを様々な説を事例を使って説明しているもので、読んでいて納得というものから、数値や式、グラフがいきなり出てきて説を論理的に示しているところもあり、なかなかついていけないところもあった。ええ、多分私がザッと見しているから悪いんですけどね・・・。
ヒューリスティックとバイアスってところは、自分の行動もそうだし、他人の行動をみていても、ああ、あるなあそういうの、って納得できることが書かれている。パッと見だと「そんなの当たり前でしょ」って思ってしまうのだが、ちゃんと事例を示し、論理的に説明されるとそんな当たり前のことを何も考えずにやってしまっているんだなと感心してしまう。改めて、その当たり前のことを示してもらうと、それを自分にどう活かすのかが見えてくる。そのパターンにはまらないように自分の思考を動かすのか、それとも逆にそのパターンにはまってみる、とか。その人間の行動というものを知ることでマーケティングなんかにも活かせるというところは、やはりこうやって気づかないとなかなかできないものである。
平均への回帰、なんてのはよくみんながすることで、例えばイチローのバッティングはすごくって毎年すばらしい記録を残しているのに、ある一時点の調子の悪いのを見てしまうと「もう駄目だ」とか「もう時代は変わった」とか、安易に言ってしまうこととか。今までの活動期間を平均すると、圧倒的にすごいのに。こういうのは自分も含めてありがちな非合理的な行動である。
フレーミング効果も普段のいろんなところに仕掛けられており、人間の非合理的な行動につけ込んだものは多い。フレーミング効果のフレーミングとは、問題の表現方法であり、同じものを表すにしてもその表現方法により結果が異なることを言う。
例を示せば、以下の質問を複数の人間に質問し、その二択の答えを集計する。
「世界が滅亡寸前であり、600人が生き残っている。その600人の命も危ない。助かるための方法としては後に示すA.B.の2つの方法があり、どちらかを選ばなければならない。政府はどちらを選ぶべきか?」
A. 200人が助かる。
B. 確率1/3は600人が助かり、確率2/3は全員助からない。
この場合、Aの方を多くの人間が選ぶのだそうだ。しかし以下のように問う場合、
A. 400人は助からない。
B. 確率1/3は誰も死なず、確率2/3は600人死ぬ。
この場合、Bの方が多く選ばれるそうである。しかしこれはA.B.は言い方を変えただけで同じ結果となるのである。言い方でこうも変わるとは。マーケティングでも、政治でも、マスコミでも、そういうものは折り込み済みなのである。なんか悔しく感じるなぁと。
この非合理性を考慮した上で、行動すれば経済的に行動ができるわけだが、すべてが合理的で良いのだろうか?非合理性にも人間らしい良い面も多くあるとは思う。
客観的に人間の行動というものは何かを知り、状況によってうまく使って生きていくことが大事かなと思う。非合理の中にある場面場面で活かせるアドバンテージについて、その使い方の合理性を見いだせば、完璧な合理性よりも面白く生きて、かつ成功できるのではないかと思う。
参考:囚人のジレンマ
この本でも取り上げられている最適な選択が最適ではない非合理性の例。
by tacca884
| 2008-02-16 22:42
| 本